
過去の膿を外に出すこと。
ちょっと辛かったんやけど、
結果的に今後の私にとってはよくなるんだろうなと思うんです。
だってさ、10年以上の付き合いの夫にでさえこんな肥満児のことで悩んでたこととか言ったことなかったんよね。受け入れてもらえんとさえ思ってたとこちょっとあったもん。写真見たことあるけん、太ってたんは知ってるんやけど、傷ついてたとかは知らなかったんよね。つーか、これ親も知らんなぁ。。てかてか私も蓋し過ぎていて・・こんなに悲しかったとか知らなかったなー。
こういう思いを抱いているだろうな・・と敢えて言わずに支えてくれた同じ部活で中学時代からの友人が1人だけいるんよね・・その子の存在はやっぱり偉大だと思う。
(画像お借りしています)
でね、この機会だから過去~今のコンプレックスにとことん向き合いますよ。
ほーんとしんどかったんです。
触れてくるゲームとかわざと「付き合ってください」とか告白してくるゲームとかの対象にされて。
「生理的に無理」
そんな言葉は日常茶飯事でした。
からかわれること
バカにされること
こんな日々が続いてもちろん自分に自信なんてこれっぽっちもなくなってしまって。
でもさ。何故か母親は小さい頃から洗脳し続けてきてくれたんよね、「あなたは絶対にかわいいの」って。だからどこかで70キロあった時でも「私はかわいいのか?」とか色々頭ん中ごちゃごちゃしとった時もあった。笑 おかーちゃん、あのポジティブシンキングすげーなぁ・・。
で、ここで
何故私がこんなにもいわゆる「からかいの対象」になったかというと。
大人になった今ならわかるんやけど。
「太ってた」それだけやなかったんよね。
その上どこか「目立ちたがりやだった」ってところが蓋をしてもしてもむにょむにょ出てきたんやと思う。
英語のスピーチ大会とかなんかの式典の挨拶とか発表会のピアノとか、ふぅっつーの授業の発言とかさ。要所要所目立ちたい気持ちとか表現したい気持ちが勝ってしまって・・で・・発言したりとかしてたんよね。
やるとそこで反感を買うスパイラルですよ。
「あいつデブのくせになに目立とうとしてんだ」的な。
ほんでもう「発言したらいかんのだ」「自由に表現したらいかんのだ」とかそういった時期もあった気がする
でさ、今ぐらいの体型。まぁ若干小太りではございますが!であっても自由な意思を表現するとその発言に反感を買う経験を得て・・。
「太っている個性と目立ちたいという個性の負の?相乗効果によりあの頃のイジメは発生していた つまり外面的コンプレックスによりイジメが発生していたわけではない。」
「今ならわかる 表現する自由はやはりそれはそれで個性でありその個性を否定する必要は特にないということ」
で、この時期を私がトラウマとして受け入れるわけではなく、こんな過去があったんだと今受け入れ直すためにできることとしては、
「まぁ・・そんな時期もあったけど今は困っていないし幸せだという事実があること」
「コンプレックスというものはいずれ乗り越えられる大人になれる乗り越えるというか受け入れる自分になれば問題ないと」
「よしよし、悲しかったねー。そんな風に感じていたんやね、でも大丈夫だよ、あなたを丸ごと受け入れる私たちがいるよ」って友達にたくさん言ってもらうこと
なんやと思う。
お友達、よろしくお願いします!!笑
この過去を吐き出して癒されたら、また私は私らしくいられると思う。